戦友の移籍に触れて、思い返した終幕の経験

先日、鹿島アントラーズから公式発表された土居聖真選手のモンテディオ山形への完全移籍。

人生のうちの長い時間を過ごした愛するチームでサッカー人生を最後までまっとうするのか、違う環境に籍を移して新しいチャレンジをするのか…

30歳を過ぎたあたりからサッカー選手が直面する人生の中でもトップクラスの難しい選択と決断。

土居聖真選手も様々な想いが交錯したに違いないと想像できる。

僕も33歳の夏、この難しい決断を迫られる状況に直面した。

今回のブログは、この移籍のニュースに触れた時、思い返したことを書いてみたいと思う。

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インド独立の父、マハトマ・ガンジーの言葉に、

『明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい』

というものがある。

この言葉の前半部分を強く感じた1週間が、あの33歳の夏だった。

聖真は下部組織から入れれば20年間、僕で言えば高卒からの15年間、鹿島アントラーズに所属し、ずっと活動してきた。

自宅とクラブハウスの往復、カシマスタジアムでの週末の試合。クラブハウスで顔を合わせる選手やスタッフさん。ずっと続いてきた日常だった。

そのずっと続いてきた長い期間を過ごした日常が、終幕を迎える。

極端な言い方かもしれないが、この日常の終幕は死んでしまうことと同じようだった。そう、僕は1度、日常の死を経験したのだ。

僕の場合は、移籍の発表をしたのは鹿島を離れる1週間前だった。

その1週間、アントラーズに関する自分の中の日常が、やることなすこと全てにおいて、文字通りラストの行動だった。

クラブハウスのドアを開けること、トイレを使うこと、ロッカーでの時間、筋トレルームでの練習前後、グラウンドでのトレーニング、トレーナーさんに身体のケアをしてもらうこと、ファン・サポーターさんとのコミュニケーションやサインと写真撮影、クラブハウスの出口から駐車場に行って車での帰宅……その全てがラストだった。

この経験は、衝撃的だった。当たり前だと思っていたことが、全て当たり前ではなかった。

当たり前の反対は、有り難い。

本当に心から全てが有り難いことだったんだ、と感じられた。

このような、長い間続いていたことが終幕を迎えるという貴重な経験は、今に活かさなければいけない。

現在、活動しているフットゴルフという競技において、もっと言えば、生活におけるあらゆる局面で、このような普段の行動の1つ1つがもしも最後だとしたらと心から思い、実践に移せたらどうだろう。

フットゴルフで言えば1打1打に対して重みを感じて大切にするという想いが普段からあるが、このプレーが最後だとしたら、というくらい目の前の状況やプレーに気持ちや魂を込められるか。厳密に言えば、あらゆるものが一期一会ということだ。

これが毎回できればと思うし、そういう選手でいられるなら強いだろうし、最期を経験し、知っている選手は、今に全てを込められるはず。

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長くなってしまったが最後に、死に関してのスティーブ・ジョブズの名言を…

『今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか?』

この言葉に対しての自分の答えは、イエス。

家族との時間、フットゴルフへの向き合い、関わっていただいている方々、全てに感謝して、ベストなバランスを考えながら1日1日を大切に過ごしていきたい。

今回の聖真の移籍に触れて思い返したことを記してみた。

聖真、ありがとう。

Boa sorte!!

鹿島Ascendia

青木 剛

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