相手の成功を心から祈れるか?

先日のFOOTGOLF JAPAN TOUR 2022-23 SEASON 第7戦。今大会は世界ランキング1位のベン・クラーク選手が来日して参戦するということで、テレビクルーが入るなど、注目度がかなり高まっていた。

僕は日本ランキング上位者として、4人1組の同組で世界トップレベルの選手とラウンドができるという幸運を得た。今までは想像上だった世界基準を実際に知ることができる貴重な機会だった。

ラウンドがスタート。この日、幸いにも調子が良く、僕は最終18番ホールを迎えた時点でスコアが−5、2位のベン・クラーク選手は−3。18番ホールはパー5なので、うまくマネジメントできれば優勝の可能性が大きい状況。

18番ホールはフォロー風の中、ティーキックと2打目もまずまずで、次の3打目で良い位置に付けられればバーディーか、パーでは終われるイメージ。イメージ通りならば、優勝を手繰り寄せられる。どういったルートでいこうかを考えていた。

強いフォロー風、緩やかな上り坂、カップ周りの傾斜やカップ奥の地形も理解をしているつもりだったし、奥への方向を間違ってしまうとOBもあるという認識もできてはいた。それらを考えて、運命の3打目を蹴った…

蹴って球筋を見た瞬間、やってしまったと思った。マネジメントや強弱も考えて蹴ったつもりではあったが、強いフォロー風に乗り、左奥のOBへ。

OBになってしまったので3打目の場所から蹴り直し。5打目からとなって6打目は長めのボギーパットが残ったがこれを何とか沈めて、18番ホールはボギー。スコアは−4となった。

スコアが−3の2位ベン・クラーク選手は数メートルのバーディーパットを残していた。沈めれば、同スコアになる…

外せば1打差で僕の単独優勝が決まるシーン。決まれば、優勝決定プレーオフ。この時、僕はベン選手のパットの成功を強く祈った…

なぜか?

フットゴルフを始めてから、ずっと感じていたこと……
それは、
相手の失敗を祈るのか、相手の成功を祈るのか。

自分として様々な解釈がある中、

①相手の失敗を祈ると、自分が同じような状況の時に、相手からも失敗を祈られる。
②脳は、相手と自分の区別を明確にできず、すべて自分ごととして捉える。だから、相手の失敗を祈ると自分の失敗をイメージすることと同じになり、自分の番の時に悪いイメージになってしまう。だから、相手の番でも成功をイメージすることで良い自己暗示になる。
③最高に良いプレーをした相手選手をも上回れる自分でありたいという想い。ミスをした相手の選手に勝つのではなく、ベストなプレーをする相手との競い合いで上回って、本当の意味での勝者になるというマインド。(世界的なプロゴルファーはこのマインドだと聞いたことがあった)もちろん最も大事なことは、自分自身を上回ることが大前提だと思う。

これらが頭に浮かび、ベン選手の成功を祈った。特に②と③の想いを強くし、心の声の大きさを最大にした。

「決めてプレーオフに突入し、そこで競い合うんだ!」
………

…ベン選手のバーディーパットが決まり、同スコアでプレーオフに突入。結果は……運良く、優勝することができた。

プレーオフでのプレー中、笑顔になれた。心の底からわくわくした。平常心、自然体だったと思う。自然体だから笑顔になれたのか、笑顔になったから自然体になれたのか、そんなことも考えた。世界ランキング1位の選手とプレーオフができるなんて、本当に貴重な経験をさせてもらえた。

正直、18番ホールでOBが出た時は、終わったと絶望しかけたし、自分の未熟さや至らなさが最後に出てしまったと思った。ボギーパットも振り返るとよく決まってくれたと思う。その後の強い祈り。勝手な解釈かもしれないけれど、相手選手の成功を本気で祈れるかどうかを試されて、今回は合格することができたのではないかとも考えている。

孟子のこういった言葉がある…

「天が人に大きな仕事を任せる場合、必ずその人を奈落の底に突き落として厳しい試練を与える。それは大きな仕事を成し遂げる人物に育てようとしているから」

今回の経験を準えるなら、「天が人(僕)に大きな成果を出させようとする場合、必ず人(僕)を奈落の底に突き落として厳しい試練を与える。それは大きな成果を成し遂げる選手に育てようとしているから」

うまくいかない時こそ真価が問われる。

フットゴルフ……選手としてはもちろん人間力が試されて、やればやるほど面白く深い競技だと改めて強く感じさせてもらえたことに、感謝。

感謝!!
南葛SC プロフットゴルファー 青木 剛

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